「ぷよぷよ」の思い出といま
僕は、「ぷよぷよ」というゲームがとても好きだ。
同じ色が4つ揃ったらぷよが消える、という単純明快なルールとは裏腹に、連鎖の組み方やスピードなど、突き詰めるとキリがない、面白さが詰まったパズルゲームである。
出会いは幼少期、何かの待ち時間で、父親の携帯に入っていた「ぷよぷよフィーバー」を遊んだこと。
それまで、ゲームといえば、昔家にあった初代プレステぐらいしか知らなかった。
親が「ボンバーマン」をやっているのを、ぼうっと見ているだけ。
そんな幼き日のぼくが生まれて初めて触ったゲームが、ぷよぷよだ。
かっこつけた言い方をすると、あの携帯に入っていたぷよぷよが、僕に新しい世界を見せてくれたのである。
そのときの僕にとって、ぷよぷよは、ただ相手よりも早くぷよを消して、おじゃまぷよを相手に送るだけの遊びだった。
フィーバーゲージの仕組みも全くわかっていなかった。
それでも、自分が決めた方向にぷよが動き、自分が揃えたぷよが消えていくだけで、本当に楽しかった。
小学生になって、しばらく経ったころ。
親は新しい携帯電話に変え、周りの友達はどんどんDSを持ち始め、クラスではポケモンDPtやイナズマイレブンの話で盛り上がる…という環境の中、幼い兄弟が欲しがるから、という理由で、僕はなかなかDSを買ってもらえなかった。さしずめ、ゲームをする手段がなかったのである。
僕は、ゲームがやりたかった。
自分で言うのはこっぱずかしいけれど、そのときの僕はなかなか悪知恵が働くガキだった。
親の目を盗んで、タンスからぷよぷよが入った携帯と充電器をくすねて、学習机でこそこそと充電した。
小さい画面いっぱいに映し出された「ぷよぷよフィーバー」の題字。
当たり前だが、魔導学校の前で腕を広げるアミティは、小さいころプレイした記憶のままだった。
携帯をこっそり持ち出した背徳感も相まって、余計に興奮したのはよく覚えている。
毎日夜遅くまで起きては、隠れてぷよぷよをやっていた。
やがてDSを買ってもらえると、その興味はポケモンに移ることとなる。
(携帯をこっそり持ち出したり夜中にポケモンをやっていたせいで、親にこっぴどく叱られたあげく、しばらくゲームを禁止にされたのも今ではいい思い出です。)
でも、ぷよぷよ熱が完全に冷めることはなかった。
年にそう何度もない、好きなものを買ってもらえる日。
小4ぐらいの誕生日のこと。
僕は誕生日プレゼントに、DSソフトのぷよぷよを選んだ。
それからというもの、1日30分のゲーム時間を、ほとんどぷよぷよに充てた。
どれだけいろんなゲームを体験しても、ぷよぷよはやはり特別だったのかもしれない。
今日までぷよぷよを続けられているのは、間違いなくこのときの判断のおかげ。
かれこれもう10年間もこのソフトで遊んでいることになる。
それから長い年月が経ち、僕は大人になった。
それでも、ぷよぷよへの思い入れは、ずっと変わらないのだろう。
半年ほど前、大学の空きコマを利用して、電車で少し行ったところにあるゲームショップに、欲しいSwitchソフトの下見をしに行った。
そのとき探していたソフトは見つからず、帰ろうとすると、ふと「ぷよぷよeスポーツ」の文字を見つけた。
僕はとっさにそれを手に取り、新品と中古で値段が100円しか変わらないこと、しかもその値段がお手ごろなことを確認すると、新品の方をレジに持っていき、すぐに会計を済ませてしまった。
いわゆる衝動買いである。
家に帰る途中、ゲームショップの袋を見ては心が躍った。
あんな気持ちは久しぶりだった。
家に帰って、さっそくソフトをSwitchに挿入し、起動。
小さいころからずっとプレイしてきたゲームの最新作を、まさか自分で稼いだお金で買う日が来るなんて思いもしなかった。
懐かしいキャラクターや思い出に浸りながらぷよを積み上げているうち、今までになかった「もっとうまく連鎖ができるようになりたい」という考えが頭の中をよぎり始めた。
調べてみると、「だぁ積み」、「かぎ積み」、「連鎖尾」、プロの方が考案したといわれる「GTR」など、知らなかった技術がいたるところに転がっていた。
こういうことを知らなかったのはとても残念。
昔から知っていれば、なんとなく基礎ぐらいはできていたかもしれないのに。
と、少しだけ思った。
でも、過ぎたことを悔やんでも仕方がない。
というわけで、僕は今しばらくぷよぷよから離れられそうにない。
このゲームは、僕の人生に絶大な影響を与えたゲームだ。
7連鎖ぐらいは何も考えずに撃てるようになった。道のりはまだまだ長い。
それと、ぼくはユウレイとシグ、アルルあたりが好き。
ぷよぷよのキャラ、みんなかわいい。そこも含めて好きなゲーム。
モチベーション
初めてのブログ更新がいきなりこんな記事でちょっとアレな気分だけど、ほかに書くところもないので仕方ない。うん。
はじめに、僕は大学生だ。
今をときめく若人である。
学びたいことがあって選んだ大学。
大学に対して特別な思い入れがあるわけでもないけれど、別に後悔もしていない。
コロナウイルスのせいで、ぼくの通っている大学では前期の講義をすべてオンライン形式で行うことが決まっている。
そうなってくると、当然のように課題をめちゃくちゃ出される。
愚かなことに、ぼくは1年の頃にあまり単位を取得することができなかった。
なので、今年頑張らないと留年が確定してしまう。
その気持ちだけをモチベーションに、大量の課題を消化してきた。
でも、ある日、それがぷつりと切れてしまった。
なんかもうダメになってしまった。
それが今に繋がっているわけである。
ぼくは、中学のころから部活動に入っており、それに対しての関心は、中学を卒業して高校に進学しても絶えることはなかった。
追及に追及を重ね、練習を繰り返し、引退までやりきった。
そこで得たものは、中高6年間を引き換えにしてなおお釣りがくるような代物だ。
ぼくは、これを勉強に向けることが大の苦手なのである。
人生を引き換えにしてなおお釣りがくるほど、大きな影響力を持つのが学問だ。そんなことぐらいは分かっている。
でも、高校の頃に数学で挫折してから、勉強することがトラウマのようになってしまった。
エリートにはこれが言い訳にしか聞こえないだろう。
「甘えてんじゃねーぞ死ね」、とか言いたくなるだろう。
しかし、だれになんと罵倒されようと、これは今現在のぼくの心の内なのだ。
罵詈雑言を浴びせるとかいう荒治療では解決しようがないのだ。
もしかしたら、今こんな気持ちを抱いている人がいるかもしれない。
同じ気持ちの人がいる、というだけで、楽になることはある。
ぼくが経験したことだから、間違いではないはずだ。
とはいえ、やりたいことがあって進学した大学なので、「甘え」というものも少なからずあるんだろうなぁ、とぼんやり思ったりもする。
頑張らなきゃなあ、という気持ちと、もうなんかよくわかんないや、という気持ち。
考えるたびに脳裏をよぎる「留年」の2文字。
こんなことしてる場合じゃない、という焦燥。
でも、ちゃんと向き合うために、いったん立ち止まることも必要だよね。
と、正当化してみたりする。
(書きたいことを書き綴っただけなので、文章にまとまりがない。)